ひだまりの道の先で

 ――きっと、この先には幸せが待っている。

 うんと伸びをしながら大きく息を吸い込めば、潮の香りが鼻腔をくすぐる。梅雨の時期の、あのじめじめとした生臭い感じとは違った、爽やかで気持ちの良い香りだ。
 ふは、と息を吐き出すと、隣に居た彼がくすくすと笑った。
「ちょ、なに」
「いや? なんか間抜けだなあと思って」
 未だにくすくすと笑いながら、なんとも酷いことを言ってくれる。間抜けだなんて失礼な。この海の磯の香りを楽しんでいただけだというのに。
「海、入らないの?」
「入らないよ。タオルとか持ってきてないし。海水浴場とかじゃないからシャワーとかないし。真水とタオルがあるならまだしも」
 そう言えば、意外と必要な物ってあるんだね、と言われた。ああ、そういえばこいつは私と違って山の方で育ったはずだ。私にとっては当たり前のことでも、海に慣れ親しんでこなかった彼には当たり前ではないのだろう。
「……そういえば、ちっさい頃は砂浜でよくガラス拾いしたなあ。割れたガラスが結構落ちてたんだよね」
「ガラス? 危ないなあ」
 予想通りの反応に、今度はこちらが笑う番だ。きっと割れて鋭利なままのガラスの破片を想像しているのだろう。残念、外れだ。
「波にもまれたからか、岩とかにぶつかったからかは知らないけどさ、角とか丸くなってるんだよ。流石にとがってたら危険だけど、そんなことないから大丈夫」
「へーそうなんだ」
「あ、今も探せばあるかもよ。探してみる?」
 聞きながら砂浜に降りる階段へと向かう。話していたら懐かしくなってきた。久々に砂浜に降りて、ガラス探しをしたくなってきた。
 僕の意見聞いてないじゃん、と肩をすくめながらも彼は近づいてくる。うん、そういうところ嫌いじゃないよ。

 砂浜に降りてざくざくと砂を踏みしめる。一瞬靴を脱ごうかとも思ったが、汗なんかでくっついた砂を取るのは地味に面倒だから止めた。靴の中に砂が入らないように気をつけながら歩けば良いだろう。それに日光で温められた砂って結構熱いし。
 波が来ないあたりまで歩みを進めて、適当に腰を下ろす。後ろをついてきていた彼も隣に座った。
「ここで探すの?」
「うん。見つからなかったらまたちょっと移動するかな」
 適当に砂をかき混ぜながら答える。昔はどうやって探してたっけ。流石に覚えてないなあ。
 心の中でぼやきながらあたりを見渡す。ほんの少し見渡しただけでは見つからない。昔は結構すぐに見つかった気がしていたけれども、意外とそうではなかったのだろうか。それとも子供の頃は見つけやすかったのか、数が多かったのか。
 辺りを見回しつつ砂をかき混ぜてみるが、意外と見つからない。貝殻はそこそこあるんだけど。やっぱり数が減ったのだろうか。
「あ」
「どうかした?」
「あったあった」
 ほら、と彼に手を出させてその掌に拾ったガラスを乗せる。小指の爪よりも小さいであろうガラス片。それを見て彼はパチリと目を瞬いた。
「光ってない」
「意外と曇ってるよね。なんだろ、傷付いてるとか?」
「ああ、波にもまれてたから」
 そうそう、と返しながら再び手元に視線を向ける。見つかったんだからきっとまだあるはずだ。そう思いながら探しても、意外と見つからない。
 なんだか悔しく思いながらも探していれば、今度は彼の方から声が上がる。
「見つけた?」
「見つけたー」
 へらりと笑いながら私の掌にガラス片を載せてくる。私が見つけた緑とは違い、今度は茶色のガラス片だ。
「結構いろんな色あるんだね」
「まあ、緑とか茶色は結構見つかりやすいかなー」
「へー」
 再び砂浜に視線を向ける。そのどこか真剣な眼差しにくすりと笑えば、きょとんとした表情でこちらを向いた。
「どうかした?」
「いや、随分真剣だなあって」
 意外と楽しんでもらえてるのだろうか。それなら良かった。これって見た目通り地味な作業だからつまんないと思われてたらどうしようかと思ってたけど。ちなみに私は久々だから結構楽しい。
「思ってたより楽しいからね」
 そう言って笑った姿をみて、ホッとした。良かった、私だけが楽しいわけじゃなくて。

 その後もしばらくガラス片を探してみると、いくつか拾うことが出来た。良かった、最初の二つだけだと流石に少ないなあと思っていたから。
 そんなこんなでまだ明るいが風が涼しくなってきたこともあり、私たちは帰ることにした。意外と海に、正確に言えば砂浜にいたね、なんて話しながら階段を上っていく。若干靴の中がじゃりじゃりする。砂が多少なりとも入ってしまったようだ。
 階段を上りきったところにある歩道で靴を脱ぎひっくり返す。さらさらと砂が落ちてきた。あれ、量意外にあったな。そんなに砂が入っているとは思わなかった。
 見れば彼も同じように靴をひっくり返して、砂結構入っていたね、と笑った。意外と入るでしょう、と笑い返しておいた。
「あ」
「? どうかした?」
 靴を履き終えたら突然彼が声を上げた。一体何だろうと思えば、手を出すように言われた。首を傾げながらも手を差し出せば、掌にガラス片が乗せられる。少し曇った、でも綺麗な青をしたガラス片。
「な、なんでこれを?」
 そう問いかければ少しばかり照れたように顔を背けた。
「いや、今日のお礼というか……今日とれた中で一番綺麗だなって思ったやつ、あげたいなあと思って」
 頬をぽりぽりとかきながら告げられて、何言ってんだこいつは、と思ってしまった。だって、なんというか、恥ずかしいじゃないか。小学生か。思わず心の中で突っ込む。小学生みたいなのは、彼なのか私なのか。
「……まあ、ありがとう」
 若干ムッとした表情になってしまった気もするが許して欲しい。予想以上に嬉しくて恥ずかしくて、どんな表情をすれば良いのか分からないのだ。
 そんなことはお見通しなのか、彼はへらりと笑って「喜んでもらえて良かった」と言った。
 丸分かりか。くそう、腹が立つ。
 その気持ちのまま彼の頬に手を伸ばし、思い切りつねってやった。
 痛い痛い、と言うが彼は笑ったままだ。悔しい、悔しいぞ。なんでこいつはこんなに余裕なんだ。生意気。
 さらにつねった頬を引っ張ってやっても、やはり彼は笑ったままだ。
 なんだか腹を立てているのが馬鹿らしくなってきた。笑いがこみ上げてきて、思わず小さく吹き出す。
 そのまま二人でけらけらと笑った。ああ、なんだかよく分からないけど、楽しいかもしれない。
 そんな気持ちを抱えて、彼の頬から手を離す。痛かったと頬をさする彼の手を取り、私は歩き出した。ちょ、と驚く声は無視だ。今度は私に振り回されなさい。
 にやにやと緩む顔を見せないようにしながら、日だまりの中を歩いて行く。
 多分、きっと、私たちはこれからもこうやって寄り道して、ちょっとムカついたりしながらも笑って、一緒に歩いて行くのだろう。そうであればいい。
 そう思いながら顔を上げれば、綺麗な透き通った青空がある。
 再び緩んだ顔のまま、彼の手を引っ張った。後ろじゃなくて、隣を歩いてくれなきゃ困るんだから。
 きっと、この先には幸せが待っている。

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