プロローグ
どさっ、なんて間抜けな音ともに体が地面に叩き付けられる感覚。痛い、痛い。いやそこまで勢いよくってほどではないけど、それでも痛いもんは痛い。
というか何故痛い。私は学校帰りにそのままベッドに倒れこんで。え、もしかして寝落ちした挙句にベッドから落ちたんだろうか。
なんてそんなことを考えながら身を起こす、目を開ける。
……え?
「……どこ、ここ?」
「お前、誰だ」
声がした方を振り向けば、そこにいたのは少し年上に見える青年。コスプレめいた服装に、暗めの青髪に、目つきが少し悪い金の瞳。顔立ちは外国人っぽい気もする、結構整ったそれで。
そんな彼がスマホ片手に、こちらを警戒するように見ている。
状況は分からなさすぎて答えられずにいると、彼は頭をガシガシと掻くとこちらに近寄ってきた。……ってこっちに来るんですか!?
すぐ近くに来て腰を下ろした彼に対し、完全にフリーズしてしまう。
「もしかして転移の時、目的地設定をミスったか? まさかとは思うが、適当に数値入れたとかじゃないだろうな……俺ん家ピンポイントはあくまでも身内用
でしか設定できないようにしてあるし……」
「えっと……てんい、とは……?」
「はあ!? もしかして今時転移魔術も使ったことないのか!? いや待て、ならなおさらどうやってここに……?」
てんい? まじゅつ?
もう訳が分からない。いや最初から分かっていなかったけれど。
夢か。これは夢か。そう思って納得した。なるほど夢か。こういう夢は確か、明晰夢って言うんだったか。
なんて思いながら頬をつねって、こんな夢見たんだって笑い話に……笑い話、に……。
「い、いたい……」
そうだよ、そういえば最初に転んだような痛みもあったじゃないか。思った以上に混乱してるのか私は。いや混乱するでしょうこんなの。
「なに急に頬をつねったかと思えば……あ、もしかして夢だとでも思ったのか? 都合が悪いからって勝手に俺の存在を夢にしないでくれよ」
呆れたように溜息を吐かれてしまった。う、泣きたい……。
いやそれよりも現状を把握しないと。もしこれが仮に夢でないとしたら、ここはどこなのか、彼は何者なのか。知らないといけないことが多すぎるのだから。
「あの、質問してもいいですか?」
「ん、なんだ?」
あ、意外と優しい人かもしれない。目つきはちょっと悪いけど。
「ここってどこですか? 私、学校から帰って家で寝ていたはずなんですけど……」
「は? 家で寝ていたはずって……もしかしてタブレットをオフにしてなかったのか?」
タブレット? スマホのことだろうか。スマホなら確かオフにしていたはずだけれど、それが何か関係あるんだろうか。
「あーとりあえずここがどこかだな。ここはイルヴァーテにあるソティアリだ」
「イルヴァーテ、にある、そてぃあり……?」
「おいおい、お前は学校の授業で寝てたのか?」
「えっと、すみません。あの、ここってアメリカです? それともヨーロッパとか……?」
「あめりか? よーろっぱ? 初めて聞いたぞ、そんな地名」
血の気が引く音がした。
いやだってそうでしょう。少なくともスマホを持ってるようなと言ったら失礼かもしれないが、こんな私が見慣れないだけで大きな違和感のない部屋に住んでいる人が、アメリカもヨーロッパも知らない、なんて。おかしい。絶対におかしい。
既に感じて微かな違和感が、確かな存在となって目の前に立ちふさがったような感覚。
私の中の常識と、目の前の彼の常識が噛み合わない。多分、彼も嘘は言ってないと分かるからこその、恐怖。
こわい。
今まで生きてきた中で培われてきた常識すべてを否定されたような。目の前の彼が本当に同じ生き物なのかさえ疑ってしまうような。そんな恐怖だ。
思わず落ちた目線のまま動けないでいると、頭にあたたかいものが乗って、ゆっくりと、ぎこちなく動く。頭を撫で、られている。
「あー……悪い。俺も少し言い方がキツかったな。寝てたら転移してたとか混乱するのが普通だもんな。とりあえず落ち着くまで、そこの椅子にでも座りな。そんで落ち着いたら、いろいろと話そう」
やさしい。
不器用に頭を撫でる手も、落ち着かせようとする声も、すべてがやさしい。
あ、どうしよう、泣きそうかもしれない。
「ほら、そこの椅子に座りな。俺は飲み物用意するから」
手が離れると、頭にふわりと布が被せられる。……やわらかい、バスタオル。
もう訳の分からなさと、やさしさに触れたことでパンクした頭が、問答無用で涙をにじませてくる。でもこれ以上、泣いたりして迷惑をかけたくなくて。
涙を拭いながら先ほど言われた椅子に座る。敷いてあるクッションまでやわらかい。
なんて思いながら座っていれば、牛乳を入れたらしいマグカップが、コースターの上に置かれる。と、マグカップにスマホを近付けたかと思ったら。
ボッ、と。
コースターが、燃えた。
「!?!??」
「え、どうした、そんなに驚いて!?」
驚いたことに驚かれてしまったが、いや、だって、コースターが燃えるって。おかしいよ絶対……!
「あの、多分ですけど、私……」
「お、おう。どうした?」
「異世界に来ちゃったんだと思います」
涙目になりながら言った私を、笑い飛ばすことも怒鳴り散らすこともしなかったこの人は、やっぱり優しいのだと思う。
ああ、優しい人のところで良かった。なんて現実逃避をしながら、無力に笑うしかなかった。