開演ブザーは突然に
僕たちはその日、不思議な出会いをした。
僕の名前は
そう、それは何の変哲もない日常。このまま続くことが確定していて、どこか退屈ながらも平均的でそれほど悪くない日常だった。
そんな日常は、一瞬にして崩れ去った。
「ん? なあ、アレ」
「どうしたの?」
祥奄の声に横を向くと、祥奄はどこかを指さしていた。指先を辿っていけばそこにあったのは細い路地。そしてその先には。
「桜……?」
おかしい。今は冬も近づく秋の季節。それなのにこんな春の盛りのように、満開で咲くものではないのではないか。そして何より。
「え、ここに桜って」
「なかったと思うんだがな」
祥奄も怪訝そうな顔をしている。だってそうだろう。確かに登下校の際、そこまで熱心に周りを見ていた覚えはない。それでもここに桜は『確かになかった』。そう確信が持てる。だというのに満開の桜の大木がある。
どういうことなのだろう。
「……ちょっと近寄ってみるか」
「え、大丈夫かな」
「オマエだって興味あるんだろ」
「まあ、そうなんだけどさ……」
そう、どうにもこの桜には興味を惹かれる。何故ここにあるのかは勿論、その姿にどうも惹かれてやまないのだ。
「とりあえずあの路地に入るか」
「結構狭いし気を付けて」
人ひとりがやっと通れる程度の幅しかない。祥奄の背中についていきながら、足元を気にしつつ歩いていく。
一瞬、頭上が蔭った気がして――。
二人盛大に、こけた。
「いったあ!?」
「おま、奏誠! 転ぶな! 背中に乗るな! 降りろ!」
「いや先に転んだのは祥奄でしょ!」
「んだと!?」
「なんだよ!?」
起き上がって祥奄と睨み合いをして――気付く。何かがおかしい。
祥奄もそう思ったようで一時休戦。周りを見渡して――。
「ど、どちら様ですか!?」
一人の少女を見つけた。派手すぎないピンク色の長い髪に薄緑の瞳。チャイナ服に似た服装の彼女の頭には、小さな黄色い角があったし、耳はしっかりと尖ってた。え、コスプレ?
というかここはどこだ。さっきまで確かに路地を歩いていたはずなのに、ここはどこかの図書室のように見える。
なんて考えているうちに、警戒しているらしい少女はずりずりと下がっていく。あれ、もしかして僕たち不審者なのでは?
慌てて祥奄と共に何か言おうとしたとき。
「誰、そいつら」
新たに一人の少年が部屋に入ってきた。薄い金髪に薄緑の瞳。尖った耳に不機嫌そうな表情を浮かべた小さな少年は、こちらを睨んできている。え、小さいけど普通に怖い。
「ネライダさん! それが、突然現れて……」
ネライダさんと呼ばれた少年はつまらなそうに「ふーん」とだけ返すとこちらに近付いてくる。謎の威圧感が凄い……。
祥奄と二人固まっていると、ネライダさんは言った。
「別の場所に即座に移動する、なんて能力は聞いたことない。つまり怪しい奴でしかない訳だけど」
「え、っと……正直オレたちも何が何だか分かってねえんだけど……」
祥奄が恐る恐る言う言葉に頷くと、ネライダさんは片眉をあげて考え出した。
少し間が空いてからひと言。
「もしかして、地球の人間?」
「「え、……ここは地球じゃない?!」」
思わず祥奄とハモって言えば、ネライダさんは「やっぱり」と言った。ネライダさんの後ろにいる少女は驚いたように目を見開いていた。
「チキューって……あの地球ですか?」
「そ、あの地球。こいつらは
「ほ、本当に星渡なんて居たんですね……」
「まあかなり珍しいのは確かだし。俺様も見たのは初めて」
え、地球とは違う星(?)でも地球は有名なんだろうか。というかホシワタリってなんだろう。
「あのー……オレたちにも説明してくれませんか……」
祥奄が片手を上げて言う。こういう時少しだけ祥奄は頼りになる。
「えっと……もし貴方たちが本当に地球の人間なら、ここは異世界ということになると思います」
少女の言葉に頭が痛くなった気がした。い、異世界……もしかしてこれは夢だろうか。
「ちゃんと話を聞け」
ネライダさんにスパーンと頭を叩かれる。痛い……あ、祥奄からも良い音がした。同じように痛みに悶える僕たちを無視して、ネライダさんは言う。
「君たち星渡にとって法則の違う世界。それがここなんだよ。まあ俺様たちみたいな存在によって、ある程度君たちの常識も通用するかもだけどね」
「その、ホシワタリって……?」
「星渡。地球からこっちの世界に来てしまった人間の総称。まあ俺様たちも実物を見るのは初めてだし、おとぎ話程度に思ってたけど」
ネライダさんの言葉を頭の中で繰り返す。物珍しい地球からの人間。それが今の僕たちの立場なんだ。
どこか信じ難い気持ちでいる。だって異世界という割には日本語も通じるし、話もスムーズだ。違和感というか、スムーズすぎて変な感じというか。
そんなことを思っていたら、いつの間にか部屋の中の本を探していたらしい少女が一冊の本を持ってきた。そしてそれを僕たちに渡してくる。
「『異世界のしおり――星渡入門書』……?」
なんとも胡散臭いというか……微妙な気持ちになって本を胡乱に眺める。
「いやなんでその本がここにあんの」
「えっと、復習にちょうど良いかなって……」
「あ、君が買ったのね」
呆れたようにネライダさんは言った。復習に使えるような内容なんだ……というか何の復習だろう。
「それ、読んでもいいけどその前に名乗って」
「え、あ、オレは之俣祥奄」
「僕は之俣奏誠です」
ネライダさんに促されて、慌てて答える。そういえば名乗ってなかったか。
「私は
少女――諷樺さんが言う。ネライダさんは軽く頷いただけだ。
「ねえ、君は不審者二人のことを店長に報告してきて。俺様はその二人を見張ってるから」
「え、は、はい。わかりました」
ヤバい、どうやら僕たちはまだ不審者扱いだったらしい。いや、それもそうか。僕たちは名乗っただけの星渡とやらで、不審者には変わりないか。
「それ、さっさと読めば。多少は自分たちの立場が理解できるでしょ」
ネライダさんはそこらへんにあった椅子に腰かけながら言う。僕たちも座っていいのかな。ずっと床の上に座ってたけど。
祥奄の方を見れば本を読む気満々だったので、諦めてこのまま読むことにした。
『異世界のしおり――星渡入門書』
この本は星渡――つまり地球の人間、特に日本人に向けて書いた本である。
何故日本人に向けてかと言えば、星渡はそのほとんどが日本人とされていて、またこちらの世界も日本文化の影響を多大に受けているからだ。
君たちにとってこの世界は異世界だ。どうにか生き抜くためにも、最低限の知識を持っていてほしい。
これはそのために書かれた本だ。
まず初めにこの世界について。
この世界に来たばかりの君たちは違和感を覚えただろう。異世界だというのに話す言葉は同じだし、どうやら書き文字も同じらしいと。
そう、それは君たちの世界――つまり地球、特に日本をこの世界の者たちが観測し、その文化を広めたからに過ぎない。
詳しいことは分かってないが、こちらの世界の文化が発達する前から君たちの世界を観測できる者がいて、その者がいたからこのような文化になったとされている。
どうやって異世界を観測するか。
それは単純な話、そういう特殊能力を持った者がいるのだ。この世界には十もの特殊能力――君たちの知るところでいう魔術のような能力がある。その中の一つ、星属性の者が地球を観測できるという。
こちらの世界のすべての存在が能力を扱えるわけではないが、身体能力が長けている種族の者もいる。無暗に喧嘩は売らない方がいいだろう。
そう、この世界には多様な種族がいる。それも軽くおさえておこう。人間、獣人、
ちなみに鬼人と鬼は全く異なる種だから気を付けよう。鬼は昔話に出てくるような存在とは違い(どちらかといえば鬼人の方がそれに近い)、死んだモノの魂が新たに実体化した存在のことだ。所謂転生に近いかもしれないが、厳密には異なるとされている。
ああ、だいぶ長くなってきたかもしれないが、もう少しだけ付き合ってほしい。
まだこの世界についてを話していない。この世界は地球とは異なる世界線の、異なる惑星だ。海には果てがあるくらい、地球とは異なる世界だ。
惑星の四割を占める大きな大陸が一つあり、その周辺にいくつかの島があるのみ。またこの世界に国という括りはないから気を付けてほしい。
他にも書こうと思えばいくらでも書けるのだが、今回はこのあたりまでにしておこう。
最後に一つ。君たちが一番気になっているであろうことへの現時点での答えを書こう。
君たちは元の世界に帰れるのか。
正直なところ、分からない。だが君たちが偶然ここに来てしまったように、偶然帰れることも有り得るだろう。それまでの間、この本を貸してくれた親切な人たちに保護してもらうのもいいだろう。
それでは、こちらでの生活が良いものになることを願って。
――著者:カタリベ
なんだか一気に詰め込まれたせいで、きちんと覚えきれてない気もする。
そんなことを思いながら顔を上げれば、先ほど出て行った諷樺さんが戻ってきていた。
「あ、読み終わりましたか?」
ネライダさんと話していたらしい諷樺さんが、こちらの視線に気付き声をかけてきた。
「はい、本ありがとうございました」
「分かったような分からんようなって感じだったがな……」
本を返しながらお礼を言えば、祥奄はそんな余計なことを言うから小突いてやった。確かに僕もそんな感じだけども。
祥奄の言葉に諷樺さんは笑う。ずいぶんと優しい人だが、もしかして年上だったりするのだろうか。
「それで」
ネライダさんが言う。どこかつまらなそうな表情だ。
「その星渡はどうするって?」
「はい、
「店長らしい判断。だってさ。とりあえず寝食は保証されそうだよ」
葛木さんというのが店長なのだろう。どうやらいいように計らってくれるらしい。ところで。
「らしゅたい? ってなんですか?」
「邏守隊はこの地区の自警団。星渡の保護も仕事のうちのはずだから、報告しに行くって訳」
「なるほど……」
その他にもいろんなことを聞いているうちに、アオザイを着た赤髪の女性が入ってきた。この人が店長だろうか。
「アンタたちが星渡の之俣祥奄と之俣奏誠だね。わっちは
「は、はい! よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
二人で頭を下げると葛木さんは笑った。
「慣れないところで大変だろうけど、わっちらも手を貸す。だから安心しなさんな」
よく分からないことだらけの異世界生活が、始まろうとしていた。