バレンタインSS(武浅ver)

「あ、武浦くんじゃねえですか」
 午後、なんとなく小腹が空いたと食堂に向かった武浦を、浅野が迎えたことに彼は少しばかり驚いた。浅野が食堂にいたことに驚いた、というのは少し語弊があるが。
「何か作っていたのか?」
 思わず武浦がそう問いかけたのも無理は無いだろう。なんせ食堂には――正確に言うと、食堂につながる調理場から――甘い匂いが立ちこめ、調理場から顔を出した浅野はエプロンを着けている。なにか調理していたとしか思えないだろう。
「あー……まあ、気付きますよねえ」
 そう言って苦笑した様子から、どうやら気付かなかった方がよかったらしい。
「そういえば、武浦くんはどうしてここに?」
「ああ、少し腹が空いたと思ってな」
 露骨な話題転換だとは思いながらもその問いに答えれば、浅野の表情が変わった。苦笑から、なんというか、「お、ラッキー」とでも言いたげな表情に。
 その表情の変化に首を傾げれば、浅野が「座っててください」と声をかける。
 まあ、逆らう理由も無いだろうと武浦がおとなしく座って待っていると、浅野が調理場からトレーを持ってきた。
「はい、どうぞ」
「これは……?」
 どことなく歪なチョコレートケーキだ。とてもシンプルな見た目。なんというか、あまり売り物感が無いチョコレートケーキとでも言うべきだろうか。
 まさか、と思いながら浅野を見れば、どこか気まずそうに頬をかいていた。
「いや、なんと言いますか……空ちゃんが月猫堂の人から『ばれんたいんでー』とやらの存在を聞いたらしくてですね……。オレも一緒に作らないか、と誘われちまいまして……」
「『ばれんたいんでー』……? そんな日があるのか」
 地球のイベントらしい、という浅野の言葉に、なるほどと武浦は頷いた。どうりで聞き覚えが無いわけだ。
「おまえは確か、料理は得意じゃ無かったと思ったが」
 そう、何よりも疑問だったのは、何故浅野が調理場にいたのか、ひいては何故料理をしたのかだった。決して浅野は料理が下手ではないが、得意ともいえなかった。本人もあまり好んで料理をしたがらないあたり、苦手意識があるのだろう。
 そんな浅野が何故、ケーキを作ったのか。
 確かに空には甘いところがあるのは否めないが、それでも普段だったら誘われても断っていただろう事が容易に想像できた。
 そんな武浦の質問に、「やっぱり聞かれたか」と言わんばかりに顔を歪めた浅野は、とりあえず武浦の向かい側に腰を下ろした。
 そうして机に頬杖をつくと、武浦から顔をそらした。
 珍しい。素直にそう思う。
 浅野はハキハキと、キッパリと話す方だ。躊躇いなく物を言うことが多い。だから言い淀むことはあまりない。
 そう、あまり、ない。
 言い淀むときは大抵、どこか恥ずかしがっているときだと武浦は知っていた。
 浅野は言葉を軽視する。だからこそ、言葉で伝えることを苦手とする。
「……『ばれんたいんでー』は世話になった人にお礼を伝えるっつー日であるんですけど」
 ぼそり、と普段より小さな声で言う浅野もまた珍しいな、と武浦は思う。
「にほんってとこではちょっと趣旨が違うっつーか……その……」
 ちらり、と浅野の目線が武浦に移る。武浦は先ほどから浅野を見ていたから、ばっちり目が合った。
 しばらく見つめ合った後、ふいと浅野が目線を逸らし、そして呟いた。
「……好きな人に、チョコを渡す日、なんだそうです」
 思わず目を見開く。そうして、ふっと笑みがこぼれた。
 そのことに目敏く気付いたらしい浅野が武浦の方に向き直った。
「い、今笑いやがりましたね!? た、確かにオレらしくはないと思いますが……!!」
「いや……なんというか……」

 自分のために苦手な料理をしてくれたのかと思うと嬉しくてな。
 それに、分かってはいるが好きだと言われるのも、嬉しい。

 武浦がそう言えば、浅野はびしりと固まって。そうして机に突っ伏してしまった。
 髪に隠れていない耳が、赤く染まっているのが見える。
「……そうですか」
「ああ」

 ありがとう。食べても良いか?
 ……食べてくれねえと、困るんですけど。

 微かに口元に笑みを浮かべながら、武浦はフォークを手に取った。
 これは気合いを入れて、お礼を考えなくては。この可愛らしい相棒兼恋人に、似合うような何かを。
 そう思いながら口に運んだケーキは、今まで食べたどのケーキよりも美味しく感じたのは、言うまでもないだろう。

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