楽しいことをしよう

「楽しいことがしたーい!」
 そんな言葉を発したのは、「中央」と呼ばれる機関の中にある医務室でだらけていたハーゼニエだった。
「楽しい、こと……?」
 ハーゼニエの言葉に反応したのは、同じ部屋でのんびりと自分の包帯を巻いていた紫陽しよう。怪我をすることが多い彼女にとって、ここは居慣れた場所だ。
「そう、楽しいこと!」
 紫陽が反応したことに気をよくしたハーゼニエは立ち上がり、その長い垂れ耳をはねさせながら室内を歩き回る。
「楽しいことがしたい、いつだってしたい。だって楽しいことは心の栄養だもの。楽しいことがひとっつもなかったら、心から死んでしまうわ!」
「心の、栄養……」
「そう、心の栄養! アタシたちの生きる糧の一つ! でも得ることが難しい時もあるから、困りものなのよね」
 うーん、と二人して首を傾げる。
 楽しいこと。それはハーゼニエがよく求めるものだ。自分が楽しいことだと思ったら、人を巻き込むことも厭わないため、「中央」に所属する者からは時に災厄のように思われる。しかしそんな風に思われようが、ハーゼニエは気にしないし反省しないので、結局いつも誰かが『楽しいこと』に巻き込まれるのだ。
 ハーゼニエからしてみると紫陽は『楽しいこと』を見つけるのが下手だ。多重人格ということもあってなのか、自分を出すことが苦手だし、自分のことを省みるのも苦手だ。もったいない、と思う。それが出来るようになれば、さらに自分にとっての『楽しいこと』が見つけられるようになると信じている。
 だからとりあえず、ハーゼニエは自分の思う『楽しいこと』に紫陽を巻き込むことにしている。そうすればそのうち、紫陽自身の『楽しいこと』を見つけられると思うから。
「ハーゼニエは、いつも、楽しそう……」
「そう? ありがとう! アタシは楽しいこと探しも好きだけど、普段を楽しむことにも手を抜かないからね」
 ドヤッ、と言わんばかりに胸を張る。その姿をどこか羨ましそうに紫陽は見ていた。
「よしっ、とりあえずここに居てもなんだから、外に出ましょう! 今日にしかない『楽しいこと』があるはずだわ!」
 ほら、とハーゼニエは紫陽の手を取って走り出す。
 なんだっていい。身近な『楽しいこと』を探そう。川に流れる落ち葉を眺めるでも、空を飛ぶ見知らぬ鳥を見つけるでもいい。ちょっとでも心動かされるものを探し出してしまえば、こちらの勝ちなのだから。
 ハーゼニエは知らない。
 いつも引っ張られている紫陽の口元が緩んでいることを。紫陽にとってはハーゼニエに振り回される災厄こそが、『楽しいこと』であることを。

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