君のためならば
「あーもう疲れた!!」
「まだ一時間も経てってないですよ、局長」
そろそろ弱音を吐くだろうな、とは思っていたが予想通り過ぎて逆にどうかと思ってしまう。局長――壱
は書類仕事が苦手だ。書類仕事と言うか、体を動かす仕事以外苦手、と言っても過言ではないくらいだ。
壱は不真面目と言うわけではないのだが、どうにも得手不得手が極端なようで。特別気が長いわけでもないから、しょっちゅう弱音を吐いては作業を中断してしまうのだ。
「諦めてください、その書類は局長にしか処理できないものなんですから」
そう、弱音を吐くし効率もよくないと分かっているから、壱には局長にしかできない書類しか回していない。本来なら局長がやった方がいい書類も、絶対局長にしかできないもの以外なら俺がやっている。……こんなんだから暁さんには甘い、と言われるのかもしれないが。
「分かってるけどさぁ。でも苦手なものが得意になるってそうないと思うっていうか。私も書類をスパパーッて終わらせられるようになりたいけど、無理っていうか。つまり何が言いたいのかというと、休憩したいです葵さん! って、溜息吐かないでよー!!」
話の流れが予想通り過ぎて、思わず溜息が漏れてしまった。いや、予想通りというかいつも通りと言うべきか。
「……ちなみに、どこまで終わったんですか」
「えっと……三分の一くらい?」
二十ある書類の三分の一程度が終わっているのか。毎回思うが苦手だと言って休憩をしょっちゅうとりたがる割には、仕事が早いのはどういうことなのか。
「あまり長い休憩はダメですからね」
「やった!」
「ココアで良いですか」
「うん、いつもありがとう」
にへ、と笑うその顔に、いつも絆されている気がするのは勘違いではないだろう。
壱のココアと自分用のコーヒーを手に戻ってくれば、壱がタイミングよく扉を開けてくれた。これもまたいつものことなのだが、それでも毎回じんわりとした喜びが滲む。
「はい、ココアです」
「ありがと。あと今は休憩中なんだから敬語はなし」
「……分かった」
お互いの席に戻り、温かいそれをすする。梅雨の時期で少し肌寒い今は、温かい飲み物の方が合う。
ふと壱の方を見れば、どことなく不満顔でこちらを見ていた。え、俺何かしたか?
「どうした?」
「いえ、やっぱりコーヒーじゃなくてココアって、どことなく子供っぽい気がして」
「ああ……でも壱がコーヒーを飲めないのは、体質だろう? 仕方ないんじゃないか。暁さんもコーヒーは苦手だと言っていたから、吸血鬼には合わないんだろう」
「そうなんだけど……でもやっぱり暁さんがコーヒー飲めないのは意外。ブラックとか平気ですすってそうなのに」
ブラックコーヒーをすする暁さん、似合うよなあ。実際は苦かろうが甘かろうが飲めないと言っていたけど。
そのうち吸血鬼でも飲めるコーヒーとか出てくるんだろうか。なんか面白いな、その謳い文句。
そんなことをぼんやり思いながらコーヒーをすする。基本的にはブラックで飲むが、壱のココアを用意するときだけは別。コーヒーにココアをほんの少し混ぜている。二人きりの休憩、その特別感が増すから好きだ。……若干女々しい気がしないでもないが。
さて残りの書類は、なんて考える。あとどれくらいで終わるだろう。壱は大体一時間おきに休憩をとりたがるから、あと二時間ちょっともあれば終わるだろうか。その間に俺の分の書類を終わらせるには……少し頑張る必要がありそうだ。
またコーヒーをすすろうとして空になっていたことに気付く。飲もうと思って飲めなかったときの、負けたような感覚は何なんだろうか。
仕方なくカップを置けば、壱も飲み終わったらしくカップを置く。さて、このカップを食堂に置いてきて、そうしたら仕事再開だ。
「たまには私が戻してくるよ。いつも葵に任せっきりだから」
壱はそう笑って俺のカップも取って部屋を出て行った。
そんなことしても書類からは逃げられないのに、なんて苦笑してしまう。書類からちょっとでも逃げようとするところが可愛いと思ってしまうのは、もう惚れた弱みというやつだろう。
さて、壱が戻ってくるまでに少しでも書類を進めておこう。
自分から多めに引き受けたのだ。引け目を感じさせないように、同じくらいに終わらせよう。
好いた相手のためならば、多少無茶でも頑張れるというものだ。